お顔のない花
                〜 砂漠の王と氷の后より
 


       



覇気あふるる人性や、知略と人望 兼ね備え、
最終的にはその実力で、広大な砂漠を制覇したことから。
仰々しくも畏れ多いそれ、
“覇王”なぞという二つ名を冠せられている、カンベエ様ではあったれど。
壮年としての落ち着きを得た年頃となった 今でさえ、
胆力も剛にしての精力的な殿御ではあるものの。
それでも人の和子には違いなく、
集中していられる時間にもそれなり限度というものがある。
抜け出した…なんてな人聞きの悪い脱走ではなく、
あくまでも単なる息抜きとして。
外の風景でも眺めましょうかいと、
王の執務室からしか出入りは出来ない回廊、のんびりと歩んでおわしたところ。

 「……お。」

王の他には誰も入れぬ空間だのに、
それは広々としていて見通しもいい、広間のような回廊の先。
大理石の床のつややかさへと、
水のおもてもかくやとばかり、その足元の陰を映えさせて、
一人の少女が立っている。
少女というより幼女と呼んでもよさそうなほど、稚くも愛らしい和子であり。
よくよく陽に灼けた健康的な肌によく似合う、
ターコイスブルーの内着に、
水色の更紗を一丁前にもくるんと巻きつけ、その身へ重ねてまとっておいで。
寸の足りぬ可憐な腕へは、
彼女には結構な重さと大きさだろう、
キャメルの毛足した仔猫が一匹、大人しくも抱かれておいでで。
基本、大臣は元より、
本宮での務めに就くほどの上級官僚ともなれば、実績のある男性陣ばかりで。
身の回りの支度だの食事だのに関わること以外の雑役を担う仕丁らへも、
自然と男ばかりが用いられるもの。
そんな場所柄にはあり得ぬ存在、それは可憐な幼女のお出ましには、

  「……さようか。」

何事かの符丁があるらしく。
精悍な口許、ふふとほころばせると、
それを見た少女がくるりと踵を返したのへ付き従うように、
回廊の奥向きへと向かって、再び歩き始めた王であり。

 「♪♪♪〜♪」

彼が何物かが、判っているやらいないやら。
ハミングしながらという、幼女のぱたぱたとした拙い足取りは、だが、
鬼ごっこだよと言われてでもいるものか、それは軽やかでもあって。
頼りない腕の中、ひょこひょことその身が躍るのが不安定だったからか、
途中で仔猫がうにうにっともがいての抜け出して行ったの、
あっと声を出し、追う形になってしまって。
お迎えに来た対象は そっちのけにしちゃったほどの無邪気さで。
そちらもまだまだ幼子だろうに、
そこは小さな獣よろしくの、見事な躍動に乗って駆けてゆく仔猫の俊足へ、
待て待て待ってと追いすがったものの、
危うく置き去られかかった少女だったの、
さあっと大きく開けた空間が優しく出迎える。

  そこには瑞々しい緑があふれ、
  真冬でなくとも砂の国、そうそう見られはしないはずの清流が、
  惜しみなく配置されての、正しく別天地であり。

背の高いナツメヤシの葉を天蓋に、
様々な木々を計算して重ね植えした、一種、温室のような空間で。
南欧では“中庭
(パティオ)”とも呼ばれるこの庭園は、
その先に後宮を控え、この王宮においての聖域にあたる 正しく禁苑。
仔猫を追って、そのまま緑の中へと溶け込んでしまった幼子は、
もはやその影も見えなくなってしまったが。

 「ようこそ、御主様。」

陶製の小椅子を据えた一角、先んじて座していた存在へ、
覇王様の関心は既に移っていた模様。
そのお膝に、先程までは幼女が抱えていた仔猫を見やり、

 「しゃれた呼び出しだの、シチ。」

味のある笑み、口許へと浮かべ、
踵まであろうビシュトの裾を颯爽と捌くと。
それは涼やかな青玻璃の双眸たわませて、
目顔でどうぞと誘
(いざな)う王妃の前へまで、
衒いなきまま その足を運んだカンベエであり。
このような打ち合わせが前以てしてあった訳じゃあないし、
もっと前からの習慣であった訳でもない。
とはいえ、
あり得ない場所にあのような幼女、
遣わすことの可能な存在は誰かと閃けば、
後はたやすく想起も出来るというもので。
万が一にも怪しいと身構えることなく、
あっさりと誘い出されて下さったことこそ、

 “わたくしへの信頼と、解釈していいのでしょうね。”

王宮の、親しい者らを相手に限り、
時に人を食ったような物言いもするが、
それだとて親しみあっての稚気のようなもの。
誰ぞが…そう獅子身中の虫とやらが巧みな手を使う、
そんな危険がひそんでいる可能性も、全くないとは言い切れなかっただろに。
嫋やかな手並みで、東洋の茶を乳にて煮た暖かな飲み物を、
これも陶製の卓の上、湯煎にしていた鉢から持ち上げ、
厚手の茶器へとそそいで差し上げて。
親愛の情と共に覇王様へと勧めれば、
ちょっぴり気取った会釈をわざわざして見せてから、
武骨な手で、それでも作法に添うた折り目正しい扱いにて、
その口許、潤して見せた王であり。
仄かに甘い午後の茶の優しさと、
風も陽射しも程よく馴染む、居心地のいい緑の苑の佇まいとへ、
ほうと一息つかれたのを見澄ましてから、

 「……キュウゾウを いじめなさったので?」

特に感慨や感情を含めることもなく、
お膝に抱えていた仔猫の背を撫でてやりながらという、
片手間のように呟いた第一夫人だったのへ。
淡色の長い睫毛を伏せ気味にしての、
その陰を頬の縁へと宿した、それは麗しき細おもて。
こちらは深色の眼差しで、吸い寄せられるように見つめ返した覇王様、

 「あれが何か言うておったか?」

こんな場所にて持ち出したくらいだ、
深刻な話ではなさそうだと、
そこは察しての…巧妙にはぐらかすところが、相変わらずなカンベエなのへ、

 「さて。」

あの姫はその苛烈さで恐れられておりますが、
それでも 慎みというものをちゃんと知っておいでです。

 「なので、御主との逢瀬の話なぞ語るはずがありませぬ。」

それが惚気であってもねと、
辛辣な一言 ちらり付け足し、ふふと微笑ったシチロージだったので。
おやおや またもやそこへクギを刺したいかと、
カンベエもまた、ちらりと視線を上げたものの。

 「そうそう。そのキュウゾウだがの。」

何かしら大事なことをば思い出したと言いたげに、
そのくせ、
話題を変えたくてという気配を隠しもせでの わざとらしく。
少しほど身を倒して来たカンベエ、
耳打ちしたいかのような姿勢を取って見せるものだから。

 「???」

あらあら、こちらから呼び立てたというに、
一体どういう意趣返しでしょうかと。
きれいに整えられた眉、怪訝そうに引き上げた妃であったものの。
こうまで間近でしかも二人きりでは、まさかに知らん顔も出来なくて。
何でしょうかと、こちらからもお顔を寄せたれば、

  「あれがの、どうやら第二王妃を気にしているようだ。」
  「………おや。」

他愛のない悪戯を思いついたかのような、
はたまた、そういう等級のかあいらしい企みがあることへ、
どうだ気づいたぞというような。
これもまた わざとらしくも声を潜めて囁いて来た覇王様だったので。

 「それはまた……。」

まずは、キュウゾウの思うところというものと、
第二王妃という言葉とがなかなかつながらず。
少々陶然としたまま身を起こしたシチロージだったのも無理はない。
引っ込み思案な第二王妃、
覇王様との拝謁だの、後宮にての宴だの、
その他、公的な場などなどへ、
半ば義務的に引っ張り出される仕儀へは逆らわず、
姿を見せない訳ではないながら。
それ以外の場には、全くの全然出て来ぬお人ゆえ、
後宮へ長く務める侍女らでさえ、姿もお声も知らないまんま。
昔、シチロージが此処へ正妃として迎えられてから程なく、
やはり政略的な婚姻にて娶られての、お越しになられた姫ながら。
そんな彼女へ仕える侍女らも、
国から連れて来た者ばかりという破格の扱いだったその上、
何と王から閨への渡りをと望まれても、
病弱ゆえにと断るほどの徹底ぶりで表へは出ない御方で。
そんなせいもあってか、
あんまり誰ぞへの関心というものを持たないキュウゾウ、
今の今まで、どんなお顔の姫なのか、
一向に関心持たずに通していたらしいのに、

 「昨日、キュウゾウが渡って来たおりに、
  本宮から戻る途中だったアレと、鉢合わせをしたらしゅうてな。」

気になる女官と逢ったと、しきりに気にかけておったのでなと、
寝物語をそれと匂わせずに話して聞かせれば、

 「ははあ、それで……。」

何やら心当たりがあるものか、
金の髪高々と結い上げた氷の妃が、ベールの陰にて思わせぶりに息をつく。

  いえ何、わたくしがお呼びしたのもそれへの刷り合わせ。

 「ヘイさんは咄嗟のこととて、
  お顔を晒して“女官でございます”と
  何とか誤魔化したと申しておりましたけれど。」

本宮の方からやって来た身だったので、
それで上手に言い逃れられたとは思いますが、と。
白を切ったその一部始終を報告されたらしい第一夫人、
案じていたこと、まずは吐露出来た安堵からだろか、
目許を和ませ くすすと微笑う。
それへこそ如何したかと、探るような目顔で問うて来たカンベエへ、

 「口八丁なところは、血統のなせる何とやらでしょうか。」
 「む……。」

しゃあしゃあと言ってのけたシチロージとそれから、
彼女が最も信頼をおくシノくらいしか、
正確なところは知られぬまま。
そんな不思議不可解な立場を通しておいでの、
第二王妃の素顔はといえば、

  茜色の髪に猫のような目許がどこか幼い印象を与える、
  それは童顔の、ヘイハチという名の姫であり。
  血統を辿ればカンベエの遠縁にあたる、
  西の果て、小さな某王国の姫君で。
  そしてそして現在は、
  第二王妃でありながら、それと同時、
  昼の間は後宮に落ち着かず。
  表の本宮、王の間近という場所にて、
  主に外交関係へその豊かな知恵をもて、
  頼もしき政務官を務める身でもあるというから驚きで。

話の最初を目指しての辿れば、
カンベエがまだ存命だった父王の軍師を務めており、
様々な艱難乗り越え、
晴れてシチロージを後宮の主人として迎えて間もない頃のこと。
幼き頃に 帯佩のお祝いをして差し上げ、
そのお礼のご挨拶にと参られたことがあったような
…という程度しか記憶になかった、
そんな姫の身に悲劇ありとの親書が届いたのがコトの始まり。
それは瑞々しき婚期を迎えられた姫に、近隣の国から婚姻の申し込みがあって。
だがだが、姫には既に想う人があり、
王と王妃という双親もまた、その人物を認めていたのだが。
どんな経緯があったやら、
その男、よほどに冒険が好きなのか、
一旦漕ぎ出せば、まずは生きて帰れはしないとさえ言われている、
海への航海に出てしまったという。
確かに航海術は発達していたが、それでもこの時代にはまだまだ魔窟も同然。
砂漠の民らには尚のこと、
そんな足場もない世界へよくもまあ飛び込めるものだと、
無謀の骨頂と思われて久しい世界ゆえ、
きっと戻るとの約束こそしたけれど、
そんな姫自身でさえ、もう二度とは逢えぬかも知れぬと、
そんな憂慮ばかりが去来をし、
さめざめと泣くばかりでいたところへの、そんな婚儀の申し出で。
政略的な代物なのは明らかだったし、
どんな人かも知らぬままという輿入れも、今時には珍しい話でなし。
ただ…生まれてこの方 我儘ひとつ言わず、
小さな国であったがため、
ちょっとした災害でも国が倒れそうなほどの苦境に陥ると、
王室のお陽様と謳われたほど、
民らを励ます役どころをきちんと務めて来た孝行娘だ。
だというに、そんな本人へは哀しい不幸ばかりが続くかと思えば、
あまりに姫が不憫でならず。
さりとて断れば、どんな報復が待つことか。
二進も三進も行かなくなった娘想いの父王は、
最後の頼みの綱としてカンベエへと親書を送り、
何か手はないかとすがった。

 『…それは、何とも気の毒な。』

王家の娘は時として、国のためというだけの条件で婚儀も受ける。
どこにも情の無い婚儀であったり、
駒や道具扱いされても文句は言えぬのが世の定め。
自身もそのような婚姻をと迫られた身の第一夫人は、
とはいえ、自分はそれは頼もしき覇王に望まれたこと、
幸いであろうよと感じてもいた矢先。
あなたさまにすがることで活路が生まれるというのなら、
どうぞ手を貸しておやりなさいませと、
シチロージからも背中を押されたカンベエ。
大手を振っての“企み”を施し、
先に求婚していた王室へは、
実は先約があった姫なので譲れぬとの断りを直接入れたその上で。
その代わりと言っては何だが、この縁を断ち切るのは忍びないとし、
自分の国との交易を結ばぬかと持ちかけて、
相手の勘気を見事逸らした遣り手ぶり。
当時 既に大陸のほとんどという覇権を握っていたカンベエだったので、
下手に食われてしまうより、
同盟国となったが利口と思うのも無理はないこと。
さしたる混乱もないままに、どちらへも支障のない“手打ち”を果たせたその末に、
こちらの後宮へと輿入れをしたヘイハチという姫君は、

 『安心いたせ、お主を我が物にしようとは思わぬ。』

裏の事情を明かしたその上で、
海へと出てしまったという想い人、此処で気が済むまで待てばいいからと、
カンベエからそうと諭され。はたまた、

 『後宮にて、わたくしの話相手になって下さいませな。』

輝かんばかりの美貌がそれは目映い、当代一の美姫、
氷の宮様、シチロージにも優しく受け入れられて。
何年振りかで、安堵の涙をこぼしたのが…もう何年前となることか。

 「海の向こうや砂漠の果て、
  様々な世界への好奇心も旺盛なのは、
  その想い人からの影響と聞きますれば。」

 「うむ。言語やそれから機巧に詳しくての。
  真新しい機巧に関しての真偽のほど、
  学者連中よりもよほど頼りになる解説をくれおる。」

利発すぎてのこと、その知識を重用され、
例外中の大例外として、女性の身でありながら、
一応は秘密裏に…覇王陛下の傍らにて、政務の補佐も手がけておいで。
そんな風変わりな肩書とお立場をしている姫だけに、
後宮にては謎の存在とされて久しく。
だがまあ、シチロージが何とも言わぬので、こういうこともアリかなと、
微妙ながら…丸く収まっていたことだけに、

 「キュウゾウは、どう出るものか。」

情の無い娘ではないながら、それでもこればっかりは、
例えば…後宮ぐるみでの謀りごととの解釈もされかねず。
問題ありなことかも知れぬと、
少々眉間にしわを刻んだカンベエだったのに対し、

 「周囲へ関心が出ましたか。」

ほほと、何故かしら余裕の笑みをこぼしたのがシチロージ。
カンベエを閨にて刺して追放されるだの、
何かしら大暴れをし、手がつけられぬと呆れられての、
気が違うてしもうたらしいと見なされ、とっとと帰されるだの。
此処へ来たばかりの当初は、
そんなことばかり企んでいたらしき彼の姫だそうで。
仮住まいという観念しかなかった地には、関心も沸こう筈がない。
それが、

 「周囲という近間に関心が起きたということは、
  この地への愛着が多少なりとも湧いたということ。」

どうでも良くはなくなったからこそ。
知らないことがあるのへも、利発なれば気になった姫なのだろうと。
そうと解析したらしきシチロージの言へ、
おおとカンベエも納得をする。
まるで、まだまだ幼い和子の成長を見守る双親のような、
そんな言葉を交わしていた二人、

 「では、まだ明かさずにおりましょか?」
 「そうさな。」

あのじゃじゃ馬が、柄になく考え込んでおったは何とも可愛らしゅうてのと、
故意にかうっかりか、要らぬ一言をば零したおかげさま、

 「…イオ、覇王様にご挨拶なさい。」
 「……う"。」

せっかくの落ち着いていた歓談が、とんだ幕切れになったその同じ頃。





 「姫様。」


こちらのお部屋にて佑筆を務める侍女が、
軽やかな金の綿毛を風にかき回されていた姫へ、
ひざまづいての恭しく差し出した親書。
うむと受け取り、金属の管から羊皮紙を引っ張り出して、
無造作に紐解いたそこには、
郷里の王室、きっちりと護っている弁務官のヒョーゴからの近況が綴られてあり。

 『…ということで。
  例の飛び地に久方ぶりに座礁船ありて、
  それを救うた騒動に、こちらは沸いている最中だ。』

炯の国こそ砂漠の国だが、
実は少々遠いところへと移住した民らが築いた地域があって。
ところによって“飛び地”と呼ぶもの、
正式な領土から微妙に離れた、
海に間近い半島地域にある小さな集落がそれであり。
塩害により作物が育たぬせいだろう、
周辺諸国からも魅力は無しと放っておかれて久しいが、
炯の国の唯一にして貴重な資源、
貴鉱石の地脈に沿って見つかった、
今でこそ涸れたそれ、かつては地下水脈だった洞窟を辿ることで、
砂漠を渡らずとも行き来が出来るという、飛びっきりの隠れ里でもあり。
海の際であるせいだろか、
昔から時折、座礁船や遭難者を救う騒ぎにも縁が深いのだとか。

 “……座礁船、か。”

そういや、そういう昔話はたんと聞いたし、
助け出したお人の中には、故国へ帰るにも術がないと、
そのまま炯国の住人となった顔触れもあるとか。
遠くなった幼かった頃を思い出し、
珍しくもこたびは はやばやと、
お返事を書こうかななんて思い立ち、
テラスからお部屋へ戻る第三妃だったけれど。


  それって……………?






  〜Fine〜  11.02.07.〜02.11.


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  *自分で自分の首絞めるのが得意技で〜すvv
   じゃあなくってだな。
   第二王妃って誰ですか?という
   シュウ様とのやり取りから始まった、
   あらびあんシリーズのこたびの急展開。
   ずっと謎のままだったお妃様は、そういう事情持ちの姫でして。
   このネタでもう少し掘り下げてもよしですね。
   とりあえず、キュウ妃がヘイさんへ
   きっちりと紹介されるのはもうちょっと先だということで


ご感想はこちらvv めーるふぉーむvv

メルフォへのレスもこちらにvv


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